不変量とはなにか -- 現代数学のこころ
講談社ブルーバックスから刊行(2002年11月20日)
今井淳/寺尾宏明/中村博昭 著 (本体900円(税別))
ISBN4-06-257393-8
「はじめに」より
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皆さんは上田秋成の「雨月物語」という小説の「夢応の鯉魚」というお話をご存知でしょうか。
病で死にかけた僧が夢の中で湖の中の鯉になり、釣り上げられて料理される寸前に意識が戻り生き返った、というストーリーです。
このような話、人間が他の生き物に変身してしまうような話は「変身譚」と呼ばれています。
(もっとも、この「夢応の鯉魚」には、なんだか臨死体験の幽体離脱の要素も少し入っているようですが。)
他に中島敦の「山月記」(虎になる)があります。
変身譚で最も有名なのはカフカのその名もずばり「変身」(大きな毒虫になる)でしょうか。
古くはローマのオウィディウスの「変身物語」やギリシャのアプレイウスの「黄金の驢馬」からガーネットの「狐になった奥様」まで、
古今東西その例は枚挙にいとまがありません。
ここでは別にこれらの物語の宗教的、怪奇的、
あるいは哲学的なテーマを語るのが目的ではありません。
これらの物語の多くにある「姿は変われど心は不変」という前提の方に注意して欲しいのです。
ここで、変身した者は、姿が魚であれトラであれ「自分」を認識しています。
しかし、そんなことは知らない他人の目には、魚は魚、トラはトラでしかありません。
「見かけの下に潜んだ本当の心」が分かるかどうか、これは変身譚のストーリーの結末を左右する大きなポイントなのです。
さて、道草はこれ位にして、最初に挙げた問題に戻りましょう。
実は、これらの問題で扱う対象は、それぞれの意味で、色々と見かけを変えることが出来るのです。
そして、その様々に現れた姿態に潜むそのものの本質、それを掴(つか)むことが出来るかどうかで、
理解の度合いが全く変わってきてしまうのです。
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